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![]() 刑務所に収容されて...ここに大学はない
俺は1993年、ケンタッキー州の山脈にある警備厳重なマンチェ スター連邦刑務所に入った。そこはできたばかりの新しい刑務所だ った。俺の唯一の目的は大学の授業を受けることだったから、この 刑務所の教育部がイースタンケンタッキー大学の授業を提供して いることを知った時は嬉しかった。1994年の秋に登録をした。大学 の教授が刑務所の中まで来てくれて、まるで本物の大学に通ってい るようだった。“ペル”という政府援助機構が授業の資金を提供して くれたおかげで準学士号に向かい勉強を始めることができた。しか し3学期が終わった直後(その間の学業平均値は4.0)授業をすぐに 中止すると刑務所の管理者に知らされた。どうやらどっかの議会議 員が囚人はペル援助金をもらえる権利がないと決めたとのことだっ た。一晩で、資金が無くなり、学校が無くなってしまった。 俺は親と連絡を取り、教育費を出してもらえないかと頼んでみ た。彼らは承知してくれた。次に自主教育と通信教育のプログラム を探してみた。ペンシルバニア州立大学が提供するいいのを見つけ て、そこに志願して受かった。イースタンケンタッキー大学の単位を 移し、文学、芸術、科学の2年間文学準学士プログラムに受かった。 死に物狂いで勉強し、1999年に親の助けでペンシルバニア州立大 学から文学準学位をバークレー連邦刑務所に投獄されながらも手 に入れた。 その年の終わりに、俺はニュージャージー州にある軽警備施設の フォートディックス連邦刑務所に移された。俺はアイオワ大学で文 学士学位を目指すことにした。この大学はペンシルバニア州立大学 と共同でプログラムを行っていた為、単位を簡単に移せて、“ライオ ンホーク”というプログラムに受かった。 この時初めてフォートディックスではオー ディオやビデオを使う通信授業を受けるの が許されていないことを知る。俺は激怒した。 6年間も厳重刑務所にいた時は文学準学位を 得るためにビデオやオーディオテープを利用 しているのに、なぜ警備が軽いはずのここでは 利用できないのか?また道を塞がれた。 なす術が無くこの最悪な状況の中でできる だけいい結果を残そうと決めた。学位をとる ためには何が必要かを調べ、オーディオやビ デオを使わなくても何とかできる方法を見つ け出した。だが一つだけ問題があった。学位を 得るには外国語の講座が必要だった。どうや ったら刑務所の中でオーディオテープなしで 外国語を学ぶことができるんだ?管理局に俺 の状況を説明してどうにかならないかとクレ ームを出したが、ブラックホールに向かって叫 んでいるのと同じだった。結局フォートディッ クスの規則に反しているとのことで、オーディ オとビデオを利用する許可を与えてくれなか った。 俺は受けることが許された授業の勉強に励 んだが、またもや障害物が立ちはだかった。俺 の担当になった女性(囚人の生 徒についてないといけない大学 プログラムコーディネーター) が全く現れなかったんだ。彼女 が試験を監視できるように時間 の予約を取りたかったが何週 間待っても彼女は来なかった。 やっとの思いで試験の時間を取 り勉強をしたのに、当日になると彼女は現れ ないということもあった。俺は自分の教育を真 剣に思っているのにこの女は全く無関心だっ た。ここで刑務局のシステムが基本的に矛盾 しているのが分かる。あいつらは囚人にルー ルや規則を反論することなく守らせたいだけ なんだ。規則を破れば言い訳は許されない。 独房に入れられる。だが、職員はどうだ?あい つらは何もかもやりたい時にやる裁量権を与 えられている。あいつらは俺たちを無視しても いいし、罰を恐れずに規則を好き勝手に変え ることだってできる。 このプログラムのコーディネーターと俺は 衝突するようになり、彼女が上司に俺の面倒 は見切れないと訴えたので、コーディネータ ーはワットフォードさんに変えられた。俺の親 が上院議員に訴えてたから彼は比較的いいヤ ツだった。俺が新しく登録した授業の本が届く と、ワットフォードさんは本の数が多すぎると 言い俺に本を渡すのを断った。登録した授業 はあらかじめ彼の許可を得ているので彼が本 を預かることはできないはずだった。この事実 を親に伝え、親は俺の主張をジョン・ウォーナ ー上院議員に訴え、彼はワットフォードさんに 連絡した。彼は俺が勝手な真似をしたと怒っ てはいたが教育に関して本当に真剣だという のはわかってもらえただろう。彼は本を引き渡 し、その後は優しく接してくれた。 何年か経ち、俺は80単位をためて学士号 に近づいていた。学業平均値は3.4を維持して いた。まだ必要だったのが外国語の単位だっ た。俺はワットフォードさんに相談することに した。彼は「規則と常識が衝突することがあれ ば必ず常識が勝つ」とドアに貼っていた。俺の 状況を説明した所、彼はスペイン語を学ぶた めにテープを利用してもいいということを教え てくれた。素晴らしい、やっとゴールが見えて きたと感じた。 しかしそこで今までで最大の障害物が立ち はだかった。スペイン語の授業を始めた直後 に刑務所長が9/11の悲劇を理由に何人かに は厳重な警備が必要だという判断を下した。 俺はその中の一人だった。おかげで俺はフォ ートディックスから一時間半程離れている厳 重監視のニュージャージー州のフェアートン 刑務所に移された。ちょうど教科書などがフォ ートディックスに向かっていた時に俺は移さ れたから、ワットフォードさんが届いたらすぐ フェアートンに送ると言ってくれた。 あれから3ヶ月が経ち、俺は未だに待ってい る。どうやら俺が移された直後、 ワットフォードさんは転職した らしい。授業を受けていられる タイムリミットが無くなって行く 間、俺の教科書はフォートディ ックスでほこりを被っている。こ このスタッフに教科書を送って もらえるように努力してくれと 頼んでみたが無理らしい。ここのプログラムコ ーディネーターがフォートディックスに2回電 話をしたみたいだが、2回とも教科書はもう送 っていると言われたらしい。でも、俺はそうは 思わない。我慢して待っているがどうしても不 正を感じる。 刑務局は俺に教育を受けて欲しくないよう だ。俺に更正して欲しくないようだ。俺をユニ コア(刑務所の労働プログラム)で働かせジェ リー・スプリンガーを見て欲しいようだ。無関 心な人になって欲しいようだ。刑務局は俺を 収監したいが、教育は頭を自由にするのだ。受 けている教育が高等教育になるにつれて俺は 更に自由になる。刑務局はそれを願ってはい ない。無学でいて欲しいのだ。あいつらにとっ て最も嫌う存在は頭がいい囚人なのだ。 俺はコントロールされることを拒否する。俺 は学士号をとって修士号を目指す。いつ教科 書が届くか分からないし、もしかしたら親が出 してくれた$2,000は返ってこないかもしれな い。だがこれも障害物にすぎない。俺は脅され ず、阻止されず、なだめられない。刑務局がど んな障害物を俺の前に置こうと俺の教育は現 実となる。 SETH M. FERRANTI これを書き終えてから、セスはまた違う施設に移され、いまだ 教科書が届くのを待っている。 ![]()
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